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私が離婚を決意した理由

離婚を決意する理由は、人それぞれ。。

長い年月をかけてフツフツと積みあがった言いようのない想いが

あることをきっかけに爆発した瞬間、

人は離婚の決意をするのだと思います。

私の場合もそうです。

その想いは、結婚後すぐに表れました。

離婚を決意したきっかけ

当時、外の仕事をしたいた夫。

外の仕事は、基本的に雨が降ると仕事ができない。

だから雨の日は休みという驚きの仕事。

私は独身の頃から内勤の仕事ばかりだったので、

雨が降ったから休みってことが予想も想像もしていませんでした。

6月の梅雨の時期は、雨が降ることが多いですよね。

何日も何日も居間で横になりながらボケーとテレビを見ている夫。

『今日も休み・・・??』と気楽な夫を横目にしながら出社する私。

休みが多い月は給与、6万円でした。。。

『こんなんで生活していけるのか・・・』漠然な不安は結婚後2か月目で表れた。

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自宅は義理父の持ち家、田舎の土間のある古い家なので、家賃なし、

お米は作っている。義理父・義理母付き。

雨の日は義理父・義理母の農業もできないので、息子と3人で居間でテレビを見てる光景がよくありました。

そんなところで生活していたので、夫も別に危機感などなかったのでしょう。

『なんでそんな人と結婚したのか!?』と言われればおしまいですが、

そう、この結婚には私もバカだったんです。

元々、農業とか嫌いではなかったし、むしろ農業をしている家って少し好感度が高かったんです。

新鮮な野菜を当たり前に食し、自分たちが作ったお米を食べる。

そんなんでスタートした結婚生活でしたが、2か月過ぎたときには夫の仕事への不安は生まれました。

それから、会社が解散 → 就職 → 倒産 → 就職 → クビ → 就職 → 退職 → 就職

といった感じで10年間の間に5回位、転職を繰り返す状態。

益々、将来に対する不安感は大きくなりそれと同時に恨む気持ちも出てきました。

2015年12月、社会人としてどうなんだ!?と思わされるような後味の悪い辞め方をした夫、

その後の就職先は70代後半なる義理母を頼って就職先を見つけた夫に呆れ、

ついに爆発してしまいました。

これが私が離婚を決意した流れです。

その件があってから別居中、もうすぐ丸1年になります。

子どもがいたし、すぐすぐには出ていくことは無理でしたのでとりあえず別居という形をとりました。

別居と言っても母屋のある義理父、義理母の家に夫が住み、隣の家に私と子供たち3人が住む状態。

これはこれで田舎なので、状況としてはしんどいですが・・

別居し、来年度で離婚し出ていくことを決意。

それまでに準備をしておこうと思ったのでした。

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